灰神樂「小窓のタバコ屋さん」

世界平和を望んでます。

方言の仮名表記について

躁の時はやっぱり天才になる。レイアウトをいじる気力もないけど、ちょっと賢そうなことを書き残しておきたい。

 

色々あって石垣島の言語(すまむに)(と、沖縄のウチナーグチ)をちょっとだけ知っているのだけれど、昨年度大学の台湾語の授業で習った阿母や阿媽の「阿」は、すまむにの「アッパ」や、沖縄(本島)なら「アンマー」の「ア」だ、って気づいた。大野晋パイセンの日本語タミル語起源説並の雑なこじつけと思われるかもだが、この阿母の表記自体は沖縄(本島)の文化にも見られる。

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-203307.html

でまあ、こういう風に由来の漢語が明らかだったりする単語は、「阿母 アンマー」みたいに元の漢語+仮名 で表記を進めた方が良いのではと思う。というのも、最近、方言(とされるもの)のカタカナやひらがな表記が「周縁」感(そして、あくまでも「日本語の一部」との印象)を助長していると強く感じているからだ。
しかし、ある漢字の読み仮名が統一されていることは日本語の統一において重要な要素で、漢語に由来する言葉でも、その統一された読み仮名を振れなければ、漢字無しで仮名表記のみにすることで「周縁ならではの特殊例」として片付ける事ができるのだと思う。
これを「阿母 アンマー」のように漢字+統一されたものと異なる読み仮名 で表記すると、統一された読み仮名体系=統一された日本語体系から逸脱してしまい、日本語の周縁どころか、むしろ新たな体系を有する別言語との印象が強くなるように思える。
多分、方言単語のカタカナ・ひらがな表記は、由来をぼやかすことで、周縁ならではの不思議な言葉という印象を与えて、ある言葉の体系をあくまでも日本語の「方言」に留める魔力があるんだと思う。「八重山語」「沖縄語」ではなく。

 

ここまで意気揚々と書いたが、すまむにに関してはどのように表記されていたかあんまりよく知らない。沖縄(本島)は組踊や琉歌などで漢字仮名混じり表記が記録として残っているからここに書いた主張と合致するかと思うのだけれど、八重山も多分民謡の歌詞で漢字仮名混じり表記があったと思いつつも、「あれ?それは原本残ってるんだっけ?」っていう。琉球王国の支配を受ける中で、沖縄(本島)流の表記が定着したのかもしれないし、それ以前は違ったりするのかなー、という。詳しい人いれば教えてください。なるべく優しく。最近人が本当に怖いです。

 

結構センシティヴな問題なので、間違いなどあったらすみません。もう八重山帰属意識はありませんので同胞とは思わず存分に罵ってください。内地から平謝りしてまーす。