灰神樂「小窓のタバコ屋さん」

世界平和を望んでます。

方言の仮名表記について

躁の時はやっぱり天才になる。レイアウトをいじる気力もないけど、ちょっと賢そうなことを書き残しておきたい。

 

色々あって石垣島の言語(すまむに)(と、沖縄のウチナーグチ)をちょっとだけ知っているのだけれど、昨年度大学の台湾語の授業で習った阿母や阿媽の「阿」は、すまむにの「アッパ」や、沖縄(本島)なら「アンマー」の「ア」だ、って気づいた。大野晋パイセンの日本語タミル語起源説並の雑なこじつけと思われるかもだが、この阿母の表記自体は沖縄(本島)の文化にも見られる。

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-203307.html

でまあ、こういう風に由来の漢語が明らかだったりする単語は、「阿母 アンマー」みたいに元の漢語+仮名 で表記を進めた方が良いのではと思う。というのも、最近、方言(とされるもの)のカタカナやひらがな表記が「周縁」感(そして、あくまでも「日本語の一部」との印象)を助長していると強く感じているからだ。
しかし、ある漢字の読み仮名が統一されていることは日本語の統一において重要な要素で、漢語に由来する言葉でも、その統一された読み仮名を振れなければ、漢字無しで仮名表記のみにすることで「周縁ならではの特殊例」として片付ける事ができるのだと思う。
これを「阿母 アンマー」のように漢字+統一されたものと異なる読み仮名 で表記すると、統一された読み仮名体系=統一された日本語体系から逸脱してしまい、日本語の周縁どころか、むしろ新たな体系を有する別言語との印象が強くなるように思える。
多分、方言単語のカタカナ・ひらがな表記は、由来をぼやかすことで、周縁ならではの不思議な言葉という印象を与えて、ある言葉の体系をあくまでも日本語の「方言」に留める魔力があるんだと思う。「八重山語」「沖縄語」ではなく。

 

ここまで意気揚々と書いたが、すまむにに関してはどのように表記されていたかあんまりよく知らない。沖縄(本島)は組踊や琉歌などで漢字仮名混じり表記が記録として残っているからここに書いた主張と合致するかと思うのだけれど、八重山も多分民謡の歌詞で漢字仮名混じり表記があったと思いつつも、「あれ?それは原本残ってるんだっけ?」っていう。琉球王国の支配を受ける中で、沖縄(本島)流の表記が定着したのかもしれないし、それ以前は違ったりするのかなー、という。詳しい人いれば教えてください。なるべく優しく。最近人が本当に怖いです。

 

結構センシティヴな問題なので、間違いなどあったらすみません。もう八重山帰属意識はありませんので同胞とは思わず存分に罵ってください。内地から平謝りしてまーす。

 

東京大学入試問題(2022∼)大胆予想

さて、大胆すぎません?入試前日に書いてて大丈夫なんでしょうか。ロシアのウクライナ侵攻が起こってしまったことが本当に不安です。

国語編

現代文:與那覇潤「平成史ー昨日の世界のすべて」

books.bunshun.jp

林修御大も文学部の史学系の教授の作問が国語第一問ではそこそこ多い、ということを仰っていて、2021年の新刊で僕が思い当たったのはこれでした(テーマ的にちょっと変わり種ですが)。抽象度というか、受験問題で解凍(これはこの字が適当なつもりです)を求めるのにちょうどいい比喩の使い方をしてるかな、と思いました。大分具体的内容が多いので使えそうなところは限られますけどネ。

地理編

これに関しては2022年度入試限定ではなく、今後5、6年ぐらいかけて聞かれうる内容かもです。

①食料国産率

カロリーベースで低くなりがちな食糧自給率ですが、家畜飼料用に輸入している穀物の占める割合がそこそこデカいです。そこで、国内の農業を正当に評価できているのか?できていないのか?どっちなんだい?(筋肉ならぬ食肉ルーレットスタート)ってことで、新たに2020年この指標の導入が決まりました(詳細な説明は農林水産省HPから食料自給率とは:農林水産省)。正当に農業の実態を統計が反映できてるのか?という観点では2004年の第二問(農家の分類で、専兼業別→主副業別への変化の理由)が記憶に新しいところ。このブログにしちゃ珍しくまともに出そうなテーマです。

➁稼げる林業

2006年の問題で日本の林業ダメだね、って話が出てましたが、それから時間がたってちょっと状況が変わりつつあるかな?っていう。詳しくはNHKクローズアップ現代でやってました(東大の先生が出てました)

www.nhk.or.jp

③第三次ベビーブームが来なかった

2022年の受験生あたりが、ちょうど第二次ベビーブーム世代の子供である第三次ベビーブームが来なかった世代にあたります。先進国の少子化は「養育費の高騰」「女性が社会進出したから」、あとは日本の場合「職住分離のニュータウン」的な雑な片づけられ方をされがちですが、バブル崩壊後「失われた○○年」の空欄に入る数字がどんどん伸び続けた若年層の貧困化に目を向けるべきかと(これは出題予想というより主張ぢゃん)。ただ、韓国ほど学歴社会になってもないのにこういう風に経済的理由がデカく働いとるのは、先進国の中でもなかなかレアケースかと。

 

からしてくれぇい!(CV:ライス関町)(←節子、その声を当てると合格しても消えてまう!)

 

追伸 アーカイブを取っておきました。もし的中した時用に。

https://web.archive.org/web/20220224091030/https://khaos.hatenablog.com/entry/2022/02/24/180522

沖縄の魚に良いイメージは無いらしい

寒いでございまさ〜ね〜。新年1発目の更新、半年以上ぶりです。

(不自然に思われるかもですが、これが今年の正月に書こうとしていた内容なのです。実際は1年ぶりの更新となります)

去年の自分のブログ読んでたらニーチェが好きだから客観という言葉を使わない、という所の強調で「絶対」って単語を使ってるんですね。で、今僕はマルクス・ガブリエルに影響されて「絶対」っていう言葉を使わないようにしてるんです、絶対に。def 使わない。(彼の「未来への大分岐」で名前を見かけた斉藤幸平は「人新世の資本論」を毎日新宿で乗り換えるときに広告で目にして正直嫌いになりそうです)

あとは「普通」って言葉も意識的に使わないようにしています。これはラッパーのMoment Joonの影響です。国籍としては韓国人で日本への「移民」の、しかし間違いなく「日本の」ラッパーなんです。阪大に(去年修士論文提出してたから今は博士過程だよね?)留学に来ていて、学部生の頃は徴兵があったから休学して兵役に就いて。本当に一度響くとディグが止まらないというか、夢中になっちゃいます。彼をコンテンツとして消費しちゃいけないんだというジレンマに苛まれつつ。

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まま、本題に……。

鳥の漫才でお寿司屋さんを舞台としたものがございます。

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自分でiPhoneのメモ帳使って書きました、我ながら上手い

 

ノブ(以下「ノ」):すみません、一人いけます?

大吾(以下「大」):アラジャイ。

ノ:あらじゃい?いらっしゃいですよね?どうしました?

大:あらじゃい。

ノ:あらじゃいって言ってますよね?

大:外寒うなってきましたね。

ノ:そうですねー

大:その歳だと堪えるでしょう。

ノ:いやお爺じゃないですよ。まだ若いんですよ。

大:どないしましょう。

ノ:お任せでお願いします。

大:ありがとうございます。そう言って頂けると助かります。ワシも一人でやってるもんでね。

ノ:そうなんですね。

大:他にもお客さん居てますんで。

ノ:先客の方いらっしゃるんですね。

大: (先客へ)アテからで宜しいですか?

ノ:握りの前にちゃんと料理のアテがある。

大:(先客へ)ドゥゾー……脂の乗った秋刀魚のはらわた取って、中に紅葉入れてます。

ノ:紅葉!?

大:塩振ってますんでそのままどぅぞー

ノ:こだわりがすごいな……紅葉の味なんかするんか?なんかねじり上げてるな。

大:(先客へ)ドゥゾー……甘鯛の皮の捻り焼きです。

ノ:捻り焼き?

大:熱いうちにどぅぞー

ノ:この人料理へのこだわりと「どぅぞー」のクセがすごいな。只者じゃないぞこの人。

大:どぅぞー

ノ:ありがとうございます

大:スパムです。

ノ:スパム!?こっちスパム!?いや捻り焼きとか。すごいこだわってたやん。

 

ぼく「ええやんやっぱ千鳥っておもろいなぁ」

 

大:(先客へ)どぅぞー……お客さん沖縄のお魚ってあんまりイメージ良いことないでしょ?ただねこれ表面炙るとぐーんと甘みますんで塩振ってますんでそのままどぅぞー……

 

……は?

 

こんなネタが出回って(寿司とのダジャレではありません)(爆笑)、沖縄県庁水産課は何も行動に移さないのでしょうか。岡山県民によるネガティヴキャンペーンを野放しにしていて良いのでしょうか。

 

役所は大変よな。俺、動きます。

 

や、一芸人のネタに対して県庁がマジレスしたらそれこそ「お笑いファン(笑)」(←本当にお笑いですね笑)からバッシングを受けちゃうかもしれません。ここは俺が勝手に行動に移します。

まずそもそも沖縄の魚にあんまり良いイメージ無いのか、そこのコンセンサスを取らなければいけません。試しに「沖縄 魚 まずい」で検索すると……憤りを隠せません。大量のリザルト。しかも挙げられているその理由は納得いかないものばかりです。主たる3つは

1.色が食欲を減衰させる

2.食感がブニブニしている

3.脂が乗っていない

 

反駁

1←お前はどうやって魚を食べるの?

刺身にするにも何にするにも鱗は取って、皮は剥ぎますよね?そもそも青だから食わねえってバカだろ。綺麗だべ。

2←生の証拠だよ。

遠洋で獲ったのを解凍したやつしか食べてないと、そっちの方が「自然」に感じるのかな?人工と自然って本来対立すべき概念じゃないのに、不思議ですね。霊長になると自然の構成単位としての自己を認識できなくなるんでしょうか……?

3←魚に何を求めるの?

脂が乗ってない→美味しくない、ってのはあまりにも短絡的すぎる。本土の方による沖縄の魚に対しての違和感ってのは多少なりとも大和民族ナショナリズムが影響してると思いますが(にしては北海道の飯が美味い事を主張して腹が立つ)、そちらこそアメリカナイズされた食生活に影響されてません?ってハナシ メーン。牛脂齧ってサラダ油でも飲みゃいいじゃん。精神レイプされてる人の意見を聞くのは譫妄を相手にしてるみたいで居た堪れないのでNG

 

僕は千鳥が嫌いなわけじゃない

 

悟はきっと脂乗りのいい瀬戸内の魚と賀茂鶴みたいなキレのある淡麗な日本酒(岡山の辛口とかだと喜平とかですかね)が好きなんですよね。

それも最高だと思います。南西諸島の魚は淡泊かもしれないけれど、それを最高に活かすのはトロッとして芳醇な泡盛やら黒糖焼酎な訳です。で、、やっぱり南西諸島の気候で食べるとそっちが美味いんだよね。どちらの味わいのコントラストも食文化、人類の悠久の積み重ねでしてよ……。えへへ、怒ったりしてごめんね。(本編終) 

 

 

 

ここからは暴言(メイン)です

 

適切かつお見苦しい発言も多々ありますが何卒ご容赦、無視してください(前述の内容と重複する箇所はあります)。だいたい「脂が乗ってないから美味しくない!」とか抜かす輩はバラムツとかアブラソコムツとかアブラボウズだけ食って一生ケツからワセリンを垂れ流す人生を送ってほしいです。本当に。

第一、熱帯の白身魚を内地と同じワサビと醤油でしか食べようとしないスタンスが愚かなの。郷に入れば郷に従えでしょ。別に食べ方を強要するつもりはないですが、インディカ米食べ慣れてるインド人に「日本の米はネバネバしててカレーには向かない。不味いです」って言われたらバチギレるでしょ?俺たちには俺たちのカレーがあるんだって。同じことですよ。自分たちのスタンダードでしか動こうとしない日帝の高慢さの表れです。(列島の)劣等民族チョッパリは恥を知れ。薩摩藩は清らかな海で生き餌になれ。松前藩はヒグマの姿を借りたカムイに裁きを受けろ。

南西諸島の白身魚にはさ、1口目は酢味噌を付けろよ。唐辛子とシークヮーシャー試せよ。それでも脂が無いと条件反射的に嫌なら、マンボウからこそいだ大トロだけ食べてればいいじゃないですか(マンボウも美味しいけどね)。100円回転寿司LOVERクラスタを形成してアトランティックサーモンとカナダ産の鱈の西京漬けだけ貪ってればいいじゃないですか。棲み分けができました。僕はあなた方が馬鹿にする魚を食べます。美味いので。僕が貧乏人とそうでない側とで差別したがる人間に見えるかもしれませんが、異なる食文化を受け入れようとする心の豊かさの、消費社会に呑まれずに1つの食材、言い換えてみれば1つの殺された命と独善的にも美味しく食べるという形で向き合ってみたいという問題ですから……資産額とは別問題。世の中良くできてますね。(ニンマリ) 食文化におけるセグリゲーションは、国産=北西太平洋漁場と外国産=北大西洋・北東太平洋漁場で二つ分かれるので漁業資源の保存って観点では悪くはないんでしょうか。しかし倫理的には好ましくないです……(そもそも国産は身が締まっていて外国産は脂が乗っている、ってのはおそらく解像度が低い分類で、実際違うのは細かい魚種だったりするんでしょうね、っていうのは思います)。

ころで、回転寿司というのは大衆の味覚を確実に変容させてきています。

「えんがわ」とは?部位の話をしたいわけではなく、味のイメージです。体温で溶けるような美味しい脂?それは多分カラスガレイのえんがわで、ヒラメのえんがわじゃないですよね(カラスガレイ勿論美味しいですけどね)。よく、「カレイはあんまり動かないから脂っぽい身で煮物向き、ヒラメはよく動くから身が締まってて刺身向き」なんて言いますが、そんなの今じゃ金持ちだけの話になってるんですよね、それをずっと食べてると無条件に脂がある方が美味しいって思っちゃうもんなんですよね、人間。うーん、なんだか。あと、ウニは何もいじくらないと甘くて雑味がないんですが、どうやら折ウニで色を持たせるために使ってるミョウバンの影響で「苦いのが本物」という誤解まで生まれてるみたいです。世の中何が何だかわかりませんね。

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 しかして、俺が短気なだけ? 

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おまけ 入試問題予想コーナー

 

今の和牛の輸出増に伴い、飼料用穀物を輸入すると低下してしまう従来のカロリーベース食料自給率では正当に評価できない国内の畜産業の活動を反映した値「食料国産率」

これは2022年以降の東大2次試験の地理にきっと出ます。統計の区分が変わったりして出たやつは兼業農家のやつとかありますね。

 

「米n杯いけるわwww」への反論。それ言われた米の気持ち考えたことあんのか

クーラーの掃除してますか?わざわざ涼むためにかび臭い空気を吸いとうないでしょう。ほいだら早めに。

最近、ホリエモンさんのこんな動画が話題になりました。

31:40~から

https://www.youtube.com/watch?v=iQaws7PPl5Y

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「ちゃんと野菜食べてますか?」という質問に

「野菜はうまいから食うもの」「そういうことを訊くやつらが大嫌い」「『野菜を食うと健康にいいから偉い』という発想が出てくるのは、お前らが野菜を嫌いだから出てくる考え」とバチギレ。動画中でもかなり赤ワインをあおっていたのでかなり出来上がっていた様子、テンションが上がっていてもカメラを叩くのはあまり良いイメージを持たない人は多そうですが、彼の意見に関しては同意します。

「健康にいいから」野菜を食べると「偉い」のではなく、野菜はそもそも美味しいから人が勝手に食べるわけで、そうでなければ「ちゃんと」なんて義務であることを前提とした副詞は出てこないわけです。野菜に関して失礼でしょ。僕も堀江さんと一緒になって怒ります。(ここで呼び方が変わったのをチェックしてください、心情の変化が読み取れます…このブログは読者の方の受験国語のスキルを磨くこともできるのです)

こちらもまた堀江さんのインスタグラム、ウニと和牛の寿司の写真をアップした投稿にてのやりとりです。

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堀江さんバチギレ①

コメント主さんはタール9㎎の緑アメスピ(メンソールライト)をプロフィール画像にしてる時点で多分グリーンな人だと思うのですが(変な意味じゃないです)、末尾に「w」を付けることによって怒りを誘発なさいましたね。バチギレた理由は多分、件の動画と同じような理由だと思います。

 

この流れで言いたいことがあります。

 

「○○だけで米n杯いけるわwww」

という表現に、僕は声を荒らげざるを得ない。

日本人の多くは今も米が大好き、という通念を共有させてください。いや、正確には

日本人の多くは今も米が大好きだが、深層心理での米への愛と行動に乖離が生まれてきている」というのが正しいでしょうか。

 

日本は古来より「瑞穂の国」と呼ばれるほど米が実るのに最適な国、主食として、はたまた団子や餅などの菓子にも酒のような嗜好品にも姿を変えてきたことから米は何よりも重要な作物でした。また、貯蓄ができる、栽培を集団で行うなどの特性から日本文化を形成した重大な要素であることに疑いの余地はないでしょう…なーんて、農協が配りよるリーフレットに書いたるような文章はどうでも良いんです。

 

今も、日本の主食は米といって間違いはないでしょう。欧米的な料理にも米、中華料理にも米、なんにでも米。冷静に考えて餃子やラーメンと一緒に米を食おうなんてのはもはや宗教と言わずしては説明がつきません。

フライドポテトとハンバーガーは典型的な「炭水化物+炭水化物」の組み合わせですが、パンにドイツ移民が食べてた挽肉ステーキを挟んだ料理とフランスから大統領が持ち帰った(ベルギー発祥だが)芋の揚げ物を一緒に食べる、実に「アメリカ料理」ではありませんか!(他意はございません)

翻ってラーメンや餃子(もっとも中国のものは皮ももっちりして厚いのですが)は比較的輸入の歴史も新しい料理です。どちらもきちんと小麦の炭水化物を含んでおり、中国では主食です。なのにラーメンライスだの、餃子に関しては主食になることは殆どありません。「米を食うのが当たり前」という価値観は、日本人に現在でも植えついているということはご理解いただけましたでしょうか。

 

その上で「米が大好きです」と自認する日本人は現在では数少なくなっています。好きな食べ物はみんな「オムライス」「寿司」「牛丼」「カレー(ライス)」…みんなそこには米がいると思います。「おかず」というくくりにしても「ハンバーグ」「とんかつ」「焼肉」…みんな米と一緒に食べるでしょう。はっきり言って米と一緒に食わない食べ物ってうどん、そば、パスタぐらいでしょう。好きな食べ物聞かれて「うどん」「スパゲッティ」答えるやつなんてガキしかいませんよ(おとなの読者の方でいたらごめんなさい)。

結局米っていうのはポテンシャルが高すぎてなんにでも合う。そのままでも美味いうえに、何と食ってもうまい。だが、この万能さゆえに「空気みたいな存在」になりつつある。当たり前すぎて感謝の念がないのだ。

戦争を経験した世代でもないのにこういうことを宣うのは恐縮だが、この「空気」がお上からの配給でしか合法には手に入らず、多くの人が法を犯してまで得ていた時代を知っているのだろうか。

貧困層は減少し、大多数の中流階級でさえ「おかずが2.3品あって当たり前」の時代になった。食卓のメインは米ではなく主菜であり、米は「腹を満たすもの」「単なるエネルギー源」になってしまった。米へのリスペクトなんぞ持っている人間の方が少ない。「もし米が手に入らなくなったら」なんていう例え話は非現実的な空想に基づく説教を嫌う今時っ子(こういういい方は分断を生みますが、私も量産今時っ子の一員であることを免罪符にさせてください)には響かない。この状況を憂いている旨を友人に伝えると

「そもそも米単体じゃ美味くないんじゃね?戦時中はそれしか食うもんがなかったからじゃないの?」

はぁ~?絶交だ。

いやまあ僕は冷静なのでその後もきちんと良好な関係を保っているが、こいつは米を結局「付け合わせの炭水化物」としてしか食べていないか、よっぽどひどい米を食べているかである。彼のお弁当のおかずを見る限り食に回す金がないわけではなさそうだ。

第一、そこまでまずい米はなかなかスーパーには出回らない。世間知らずと思われるのは嫌なので、「まずい米を買う方法」も記しておきます。ドン○ホーテでいっちゃん安い米を買ってください。食に無頓着な方でも「違いがわかる男(女)」になれることでしょう。第二に、彼の家で米をまずく炊いている可能性もある。かまどやガス釜の過程は少なくなり、電気炊飯器が主流になっている。電気炊飯器以外で炊いた米を食べたことがない人も現代においては増えてきているのかもしれない。ただ最近の電気炊飯器の技術は進歩しており、分量通りに炊けばなかなかまずくはならないはずだ。

彼のTwitterなどでの言動を見る限り決して貧乏ではなさそうだし良いものを食っている。ではなぜ「米単体では美味くない」なんて発言が出てくるのだろうか。おそらく理由は単純、そもそもぜんぜん米を噛む気がないからだ。キモ=オタクなので昼食を観察していたが全然米を噛んでいない。ふつうちゃんと噛まん?味わわん?ほのかな甘みを確かめん?俺がおかしいん?米を美味しく食べる努力もしない奴が「米は美味しくない」なんていうこと自体言語道断なんじゃ、口動かす前に顎動かせ(一緒ちゃう?)

そのうえで彼のTwitterにこんな投稿が。

 

(誰かへのリプライで)

「あれだけで米3杯いけるわ」

 

本人に指摘したところ現在はこのツイートは削除されてしまったが、まるで米を食べることを罰ゲームとするかのような発言である。ここで堀江さんの「野菜を食べるのは好きだから」思想にもつながってくるのだ。「嫌い」「苦しみ」を前提とした食への考え方は甚だ不健全であろう。しかもお前は美味しく食べる努力もしない。

ここでタイトルを回収する時が来たのである。

それ言われた米の気持ち考えたことあんのか

以上、厄介オタクバチギレの巻でした。ぜんぜん関係ない場所で送ったリプライにこんな3000文字超えの長文でお気持ち表明されたら無茶苦茶うざいとは思います。ごめんね

 

 

お米は美味しいんだ

https://www.youtube.com/watch?v=Z0PJmEQFOPo

「Motherfucker」の美

温泉でも行きたいでやんすね。こんにちは。ブログ開設最初の記事がこれだと先が危ぶまれますが、TLには埋もれさしたくないアーチクルをお届け。では早速本題に。。。

 

あたくしはネイチヴではないのでニュアンスのとらえ方が不自然かもしれませんが、外国語話者であるが故の視点はあると思うのです(「客観」という言葉は絶対に使いません。ニーチェは割と好きなので)。

英語圏のジャズ、hip-hopやロックを聴いていればわかるかと思いますが、決して罵倒だけに用いられる表現ではありません。まあどんな言語でもあるでしょう。パンクなカルチャーにおいてマイナスの意味の言葉がプラスで用いられることはよくあるよな、この読者のクソヤローども(今、皆さんに愛が届いています。天上の神からではなく私から、すなわちより近いので光のようにそれぞれが平行に近似せず、きっと様々な角度の愛を享受していることと思います)!

 言葉の起源だの知りたかったらWikipediaご参照下さいまし。んな辞典じみたことは言わないのです、これはクソ真面目な分析なのです。

 

トのオスの個体はメスの個体と交尾を行い、受精し出産します。哺乳類においては、交尾が行われる器官とその結果生まれた新しい命がこの世に解き放たれる場所は同じなのです。ここがポイント。自らが出でた原点に対して新しい命を作る行為をする、「ただいま」ですよ。はじめはあんなに小さかったのに、社会という宇宙に出ていくにあたり大量のデブリに殴られたと思いきや光の届かない他の星の裏側で暗闇を知り、いつしか果てしない孤独、周りに何もない…そんな「グレイト・ジャーニー」を経て、地球ならぬ「母なる子宮(うまい‼)」へと帰還し、過去に父が自らを作った場所へ、自らが一番初めに通った道へ、神聖な道へ(参道ならぬ「産道」ですね!www)、自分も新しい命をふきこむ作業をする。

この「戻る」作業を用いて罵倒を行うのは形容しがたい「wasted...」感があるわけです。単に「お前は聖書(The book)で禁忌たる母子性交をしているッッ!」ではなく、「こいつ母ちゃんとヤってるんだぜ!」でもなく。「お前は戻ってきたんだ。このn十m年の人生で…」という。諦観に近いのかもしれません。奥行きのある美しい表現です。多分「ウェスターマーク効果が働かないとか不良品かよ!」とか、「お前に同情するのレヴィストロースだけだかんな!」とか、そういう罵倒じゃないです。ないよね…?

 

初回投稿、読んでくれてありがとうございました。コメントの方よろしくお願いいたします。badass Ma-fucker. 

www.youtube.com